カウンセリング・悩み相談の心in所沢

心理カウンセラーが綴るカウンセリングの小話&日記

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カウンセリングで大切にしていること

カウンセラーとして活動するようになってそれなりの時間が経ちました。

私が昔からカウンセリングで大切にしようと意識していたことは「どれだけ多くの人・様々なタイプに合わせていけるか」です。

年数を重ねるほど、考え方や細かい部分での変化はありましたが、上記の意識は昔から変わっていない気がします。

これは、すべてのニーズに応えられることを目指すということではありません(一カウンセラーとしての限界、カウンセリングそのものの限界という意味もありますが、カウンセリングに過大な期待を抱かれすぎている場合もありますので)。

そのニーズそのものを把握することにまずは意識を向けています。
特に初回面接や最初の数回は。

というのも、カウンセリングに来られる人というのは悩みも人柄も様々ですが、カウンセリングに対するイメージや期待も一人一人異なるので、自動的に把握・共有できるような簡単なものではないからです。

来室する方からすると「カウンセリングってこういうものだろう…」という想像もしくは固定概念があったりするのですが、その内容や程度がまた皆同じではないので、こちら側としてはまずはそのあたりから把握していく必要性が出てきます。

また、「カウンセリングってどんなものか分からないけど、来てみました」といったことを仰る方の場合でもひそかに期待している何かがあったりすることも実はあります。

臨床心理の分野ではよく「主訴」や「主訴分類」という言葉が使われたりするのですが(何について相談したいと表明したか)、同じ主訴でも人によってニュアンスや意味が違っていることが普通なので、まずは丁寧に話をきき、丁寧に質問することが大切になると実感しています。

そうやってお互いがどういう場にしたいか・どういう話をしていきたいか等がある程度共有できるようになると、ぐっと有意義な場になっていくように思います。

逆にここがズレたり、むしろカウンセラー側に細かいニュアンスを拾う姿勢がないと、カウンセラー側が一方的に持っていきたい方向に持っていってしまったり、来室者側が話はするもののどこか手応えがない…ということもあり得ます。

協力的な体制をつくり有意義な時間にするには、来室者側の協力も必要ですし、カウンセラー側の柔軟性と把握する努力も必要です。

私自身、今後も精進してきたいと思います。




芸能人・有名人の話

皆さん、好きな芸能人・有名人っていますか?

というのは、たまにカウンセリングの中でも、自然にそういう話が出てくることもあるし、こちらからも「たとえば、芸能人でいうと、誰みたいな感じなんですか?」と質問することもあったりします。

もちろんそれは必須の話題でもないし、全然意味深な質問でもないのですが、考えてみたら芸能人ってありがたい存在だよなぁと思ったりもします。
多くの人に話題を提供してくれてますからね。

例え話として芸能人を出す場合、それそのものはさほど正確な話にはならないとしても(例えの描写・精度として)、なんとなく場が明るくなることが多いですね。

通常のコミュニケーションでいうところの、天気の話・食の話みたいな便利さがあるのかなと感じたりしています。
天気よりは、もう一歩踏み込んでますかね。

いや、カウンセリングにはある意味無関係とはいえ、ちょっとした雑談も交えた方が場は和みやすいんですよね。
つまり芸能人でなくたっていいのですが、好きな芸能人の話とかはこちらも聴いていると楽しくなりますね。

ただ、最近私は、ほとんどテレビ見てないんですよね・・・。
質問しといて、結局それが誰なのか分からないことも多々(笑)。

あ、もちろん、テレビの話や芸能の話が嫌いな人は、「カウンセリングでは、そういう話もしなくちゃいけないのか」とか思わなくていいですからね。
全然そんなことはないですから(笑)。

「変わってる人」って何だろう

心理学を学ぶ人や心理士を目指す人は、変わっている人が多い、という話をよく聞きます。

でも、心理の分野に限らず「あの人は変わっている」とか「私は変わっている人」というのは、よく聞く言葉ですよね。

「変わっている」とは何を指すのでしょうね。

変人という言い方もよく聞きますが、それの指す内容は、実はそれほど一定のものがあるわけではないと思います。

ちなみに「私は変わっている」ということをひそかに嬉しそうに思っている人も多いですし、「あの人は変わっている」ということを批判的に言う人もいます。

つまり、実態がどうであるかより、何かを言うために、変わっているという表現が使われている部分も大きいかと思います。

(基本的に実態はないと思いますが、心理の分野特有のものとして、漠然と指していることは恐らくありますが、それについてはまたいずれ書きます。)

しかし、基本的には心理の分野に限らず「変わってる人」はいくらでもいますし、多くの領域・業界で変わっている人はたくさんいるのでしょう。

変わっているのか、(どこにでもいるのなら)変わっていないのか、よく分からなくなってきますね。

変わっているということを気にしてしまう方は、そんなもんだ、と思ってもいいかもしれません。

自分のアイデンティティとして、あるいは誰かについて「変わっている」と思いたい・考えたい方は、なぜ変わっていると言いたいか、に着目してみるのも面白いかもしれません。

買い占め行動

東日本大地震による被害に遭われた地域・方々の復興と少しでも東北と日本が元気を取り戻すことをお祈りしています。


さて、私は関東圏に住んでいますが、数日前まではスーパーやコンビニに食料(特に冷凍食品、パン、カップ麺、缶詰、惣菜、弁当)がほぼ売っていませんでした。

仕入れの問題もあるようですが、それ以上に買い占め行動による影響が大きいようでしたね。

放射能汚染を警戒して、ということでしょうか。
物が売っていない状況を見てさらに焦る→なくなる前に買い占める、という流れもあったのでしょうね。

私はボーっとしてたので、気づいたらほとんど買えるものがなくてちょっとびっくりました。

本当かどうか知りませんが、政府の発表によると食料もガソリンも買い占めをしなくても十分に賄えるだけの量は国内にある、とのこと。

多分それは本当なのでしょうけど、実際には店頭に物が売ってない状況だったということは、当たり前の話ですが、一部の人が食料等を必要以上に買って保管・保有しているということなんでしょうね。

この現実を見て、以前読んだとある本を思い出しました。

世界的には、本当は資源も食料も十分に足りている。
しかし、一部の人が必要以上に保有することで得られない人が出てくる。
「ある」人は奪われまいと必死になり、「ない」人は奪おうと必死になる。

根底にあるのは、なくなること・ないことへの恐れと欠乏感。

もし世界には十分な資源やお金や食料があるのなら、その欠乏感は本来幻想であったはずなのに、恐れることによって現実に欠乏を実現してしまったと言えるのでしょう。
(軍事費による影響も大きいようですが、軍事も恐れや欠乏は関連しているのでしょう)。

多分、そんな内容だったと思います。

私は経済のことはもちろん分かりませんし、私はたいしてエコでもない一庶民ですが、今回、実際にスーパーで商品棚に物が何もない状況を見て、世界の縮尺を見た気分でした。

本当に恐れから、欠乏は生まれるようですね。
人々の心理状態がこれほど現実に影響を与えるのかと改めて驚きました。

カップ麺なんか、「こんなにたくさん置いてそんなに売れるものなのかなぁ」と思ってしまうくらい普段は山積みしてあったのに、完全に空でしたからね。

でも、そこはさすがは日本人。

業者の方々の努力もあると思いますが、そういった行動は控えましょう、という政府やメディアの呼び掛けが出るようになってからは、随分落ち着いたようには感じました。

良くも悪くも、情報が人の心に与える影響というのはやはり大きいですね。

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