カウンセリング・悩み相談の心in所沢

心理カウンセラーが綴るカウンセリングの小話&日記

心理カウンセリング、心の悩み相談はこちらです(管理人所属の相談室HP)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心の癖を知る(2)

心の癖を知る(1)の続き

カウンセリングでは、このような心の癖やその人の行動パターンに注目することがあります。
そこに注目することで気付きにくい自分の癖・パターンを意識することができるようになります。
元々、癖とは自分では気付きにくい性質のものなので、カウンセラーという存在を として利用することによって気付きやすくなるわけですね。

その過程に心理検査(心理テスト)を使うカウンセラーもいます。
心理検査の中には投影法と呼ばれるグループがありまして、これは心の癖を映し出す検査とも言えると思います。
たとえば、多義的にとらえることが可能なある提示物を見てもらって、それについて反応してもらいます。
人によって反応が異なってきますので、その方の癖というものがそこに映し出されるわけですね。
(※私は、検査をあまり好まない面がありますのでほとんど使っていませんが)。

意識してどうなるかということに関しては…
そこからカウンセラーと一緒にパターンを変える試みを考えていく方向もありますし、単に意識して終わることもあります。

単に意識して終わる場合があるのは、変えられない場合もありますし、意識した上で考えてみると「それを変えたら自分じゃない!」ということもあるからです。
(※それでも、変える方向性をおしていくカウンセラーもいることはいます)。

とはいえ、単に意識することも無駄ではないのです。
なぜかというと、意識できていない状態に比べると、そこには納得があるからです。
同時に先ほど述べた外側にのみ原因を求める傾向も弱くなります。
実のところ、外側のみを原因としている状態の方が本人は苦しんでいる状態なのですね。
そういう意味でも少し楽になります。

パターンの変え方についてはまた色々とありますが、長くなりそうなので今回はここらへんで終わりにします。

スポンサーサイト

心の癖を知る(1)

人間、誰しもががちょっとした癖ってありますよね。

私なんかもありまして、飲み物(お酒含む)を飲む時にはかなり長い間、あえて飲みほさない癖がついています。
ちょびっと残します。
なぜかというと、私は“余地を残す”のが好きだからだと思っています。
贅沢病とも貧乏性とも言い切れない癖ですね。

私の例は行動的な癖という言い方もできるかもしれませんが、本来、行動も心も切り離しては考えられないものです。
どちらにしても長い年月を経て身に付けてきた自分では気付きにくいパターン、というものがあります。
癖とは、ある場面での、あるいは、ある刺激に対しての繰り返しやすい反応の仕方、ということができるかと思います。

おおざっぱには悲観的・楽観的などの言葉がありますが、それらも一種の癖ですね。
他にも、物事に対してまずは全体を見ようとする人もいれば、まずは細かいところから見ていく人もいます。
納得できるところまで議論をつきつめなければ気がすまない人もいれば、ほとんど最初から曖昧にしておきたい人もいます。

癖それ自体は、良いも悪いもありませんが、上の例のようにその癖がわりと極端であったり、あらゆる場面や刺激に対して自分の癖が発揮されてしまう方は、比較的悩みが増えやすいと感じます。
逆に、癖はあってもわりと柔軟に場面・刺激に応じた反応をとれる方はそれほど困ることは多くないように思います(もちろん無理をしている場合は別です)。

また、自分の心の癖やパターンに対しての自覚が少ない人ほど悩みやすいという面もあります。
自覚が少ないと、悩みや困ったことの原因を外側に求めがちだからです。
原因という視点で考えるならば、外側にも原因があるのは当たり前なのですが、時には自分の反応パターンを自覚する方が効率的に状況をよくすることもあります。

心の癖を知る(2)に続く…

軽度発達障害

最近の教育界、教育にかかわる心理臨床業界では、最も大きな関心は何かというと、やはりいじめ問題でしょうか。

しかし、ここ数年というスパンでみると、とても関心を集めているのが、軽度発達障害といわれる子どもたちです。

知的な障害や明らかな発達の遅れなどは顕著でないが、発達の偏り(バランスの悪さ)がある子どもたちです。
もう少し平たく言うと、ちょっと変わった子であったり、周囲の期待と実態にギャップが生じやすい子どもたち、といったところでしょうか。

(※子どもだけでなく大人にも関係することなのですが、現状では特に子どもの軽度発達障害に注目が集まっているように思われます)。

軽度発達障害の中でもいくつか分類のようなものがあります。
アスペルガー障害、ADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)、などが有名です。
これらの名称は聞いたことがある方もいるかもしれません。

アスペルガー障害とは、言葉の能力・発達は良好であるにもかかわらず、対人的なスキルが育ちにくい傾向があります。
つまり、場の空気を読むだとか相手の気持ちを考慮して発言するなどのことが苦手です。
また、比較的独特な感性・趣味・趣向を持っていたり、感覚的な敏感さを持っています。

ADHD(注意欠陥多動性障害)は、とにかく落ち着いてじっとしていることが苦手です。
忘れ物が多かったり、整理整頓などの細かい作業も苦手です。

LD(学習障害)は、全般的な知的な能力は平均または平均以上であるにもかかわらず、読む・見る・書く・話す・計算・推論などどれか特定の分野が極度に苦手です。
つまり、平均・総合すれば知的な能力・成績などは悪くないが、細かく見ていくとそれぞれの能力の間に著しい差がある、ということです。

これらの特徴そのものによる適応の難しさもありますが、二次障害ということも注目を集めています。
たとえば、どうしても落ち着いてじっとしていられないために、先生に怒られやすく結果的に自信を失い、ますます適応が難しくなる、といったことです。

また、一般的にこの分類は絶対的なものではなく、複合的であったりどれとも言えない、という場合が多いです。
ですから、同じ子どもでも、それぞれの医療機関で別々の診断名になることがあったりします。
そのため、これらをスペクトラムとして捉えようという考え方も主流になりつつあります。

この軽度発達障害という視点・研究がもたらしたものは大きいと思いますが、私個人としてはこの視点に対しての関心の高まりには光と影があるようにも思えます。
また次の機会に、それについても書いてみたいと思います。

ゲームの与える影響(2)

ゲームの与える影響(1)の続き

産業や経済の面からも消費者の側からも、既にゲームは必要とされているものになっています。
良い・悪い、ではなく。
なので「ゲームを禁止にする・排除する」という発想ではなく、「あるものはある。リスクを含めそういったものとどう付き合っていくか」ということが大切になってくるんだと私は思います。

つまり、禁止・排除ではなく マネジメントですね。

この研究の著者は「…母親がインターネットの接続を切ると、家庭内暴力や部屋の破壊行為を行った」生徒との面接が、この問題(オンラインゲーム依存の危険性)に着目したきっかけだ、としています。

私が注目したいのは、母親が“接続を切った”という部分です。
文脈は分かりませんが、もしこの行為が突然に行われたのなら、子どもにとってはそれは強烈な否定・排除になりかねない、と思います。
この“否定・排除”の部分を“マネジメント”に変えることが大切なんだと思います。

家庭レベルだけでなく社会レベルでも同じです。
たとえば、百害あって一利なしと悪名高い たばこ。
しかし、たばこの会社自体が、たばこの健康害のリスクをお知らせし、タバコのマナーを世に世広めるなどのことをしています。
その上で、楽しみましょう、と。

ゲーム業界も、今後ますます、このようなマネジメントを促進する取り組みが大切になってくるのではないかと思います。
同時に楽しさを追求できたらとてもいいなぁと感じます。

あと、思いつきですが、オンラインゲームの依存性に関しては、ゲームだけでなくネットの常時接続(定額制)が大きな要因の一つになっているような気も私はしています。
ダイヤルアップだと、制限がある分、自然にマネジメントが含まれる面もありますからね。
もちろん、常時接続が悪いということではなく、賢くそれと付き合っていくことが大切なんだと思います。

※参考・引用

平井大祐 葛西真記子:オンラインゲームへの依存傾向が引き起こす心理臨床的課題 潜在的不登校・ひきこもり心性との関連性 心理臨床学研究,24-4 P430-441



ゲームの与える影響(1)

臨床心理学の研究誌から、興味深い研究を見つけました。
オンラインゲームに関係した研究です。

この研究(※)では、「オンラインゲームは、その依存性の高さにより、不登校・ひきこもりの問題と関連する要因となりうる」また「適応上の問題が生じるリスクが高まる」としています。

う~ん…
もちろん、この考察は調査をした上でのものですし、信頼のおける研究だとも思います。
ただ、個人的には「あー、またゲームが悪玉にされてしまうかも」という印象も受けます。

考えてみると、大分前からゲームと暴力性との関連(危惧?)は言われていましたし、“ゲーム脳”でまたゲームの印象は悪くなった感じがします。
こういった示唆があると、必ずゲームを禁止にするご家庭が出てきます。
ゲーム悪玉論も盛り上がります。
子どもやゲーム好きには肩身が狭くなります
(私もたまにやっているのですが…)。

ただ、私が重要だと思うのは、こういった研究や示唆をどう受けとめていくのかということです。

ゲームが心や適応に悪影響を与えるならば、ゲームをこの世からなくすことができるのか??…それは、不可能だと思います。
テレビや携帯電話が仮に人体に悪影響があるとしても多分なくならないのと同じです(命が危なくなるとかなら別でしょうけど…)。

ゲームの与える影響(2)に続く…


※参考・引用

平井大祐 葛西真記子:オンラインゲームへの依存傾向が引き起こす心理臨床的課題 潜在的不登校・ひきこもり心性との関連性 心理臨床学研究,24-4 P430-441



トラウマ(2)

トラウマの小話、第2回です。

前回トラウマとは、過去に受けた心の傷が現在まで影響を及ぼす現象だ、と述べました。
じゃあ、どんな影響があるのでしょう。

ドラマとかになりそうな話としては、多重人格(解離性人格障害)などもありますが、これは滅多にいないのではないかと思います。
ただ“人格が変わる”ほどではなくても精神的に不安定になるということは多々あると思います。

比較的多いと思われるのが、フラッシュバックと呼ばれる現象です。
過去のトラウマとなった出来事が、突然ババッと思い出され脅威に感じます。
その出来事からかなりの月日を経た後でも、です。
しかも、同時にリアルな感情も喚起され泣いてしまう方などもいます。

フラッシュバックに関しては、一つの説明として、トラウマとなった出来事が心の中で“冷凍保存されるゆえ”という考え方があります。

私なりの解釈をさせていただくと、冷凍保存するということは、その時点でその出来事を消化することが難しいから、ということだと思います。
食材をその時に消費できないからいったん冷凍庫に入れるのと似ています。

あまりにもつらく苦しい出来事は、それに直面し受け入れることが難しいばかりでなく、その出来事を正確に認知することもできません。
だから、いったん心の中で保留にするしかないわけですね。

しかし、認知できなくて保留にするということ=その体験をしていない、ということにはなりません。
その体験は記憶のどこかに存在しているにもかかわらず、心の中では認知できないような状態になっているわけですね。

そうすると、その体験は自分自身のコントロール下におけてないということになります。
体験の方が自分を支配している状態ですね。
ゆえにその冷凍保存されている記憶は脅威となって姿を現すこと-つまりフラッシュバックが生じます。

逆に言えば、日常の些細な体験は消化することができ認識しているがゆえに忘れることも出来るし、些細な体験にふりまわされることもありません。
自分のコントロール下にあるからです。

フラッシュバックは人間関係上のトラウマだけでなく、交通事故を起こされた方なども生じることがあるようです。

また、冷凍保存するのはあまりよくないということではなく、その時点・その状況ではベストな方法だと私は思います。
人間、そんなに強くなくて当たり前ですからね。

しかし、いづれはこの脅威をどう自分のコントロール下においていくか、または、この現象とどうお付き合いしていくか、ということが大切になってくるんだと思います。

トラウマって?

近年、トラウマ(trauma)という言葉が浸透してきているように思います。

わりと、広範囲に使われている言葉かもしれません。
なので、色々な「トラウマ」について少しふれてみたいと思います。

トラウマとは何でしょう。
かつての人気ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」で、まこと(長瀬君)は「虎と馬ぁ??」と言っていたような気がします。

トラウマとは、心の傷ですね。
私の勝手な印象として、一般的には、かつて受けた「心の傷」が今・現在にも影響を及ぼしている現象、という意味で使われているように思われます。

主に、人間関係上での深い心の傷をイメージする方が多いようですが、最近の方々は比較的ライトな感覚でも使われているように感じます。
お笑いの方が、「ちょっとしたトラウマだよ!」等言っていることもありますしね。

暴力など人間関係上の深刻なダメージだけでなく、パッと見では分かりにくいダメージがちびちびと蓄積していく現象をマイクロ・トラウマと呼ぶ人もいます(※私は、この呼び方についてはあまり詳しくないのですが)。
少し気難しい方と日々濃密に関係していかなければならない状況をイメージしていただければ、と思います。

また、大地震などの災害で受けた心の傷もトラウマです。
災害後の生活に深刻な心理的・行動的影響を与えることがあります。
これは、医療機関でPTSDという診断がつくことがあると思います。
PTSDのTはトラウマティック(トラウマ)です。

色々挙げましたが、また機会があれば、それぞれのことも掘り下げてみたいと思います。

なんとなく不安

不安といっても色々でしょうが、今回は“漠然とした不安”についての小話です。

何に不安になっているのかよく分からないけど、でもなんとなく不安…っていうことありませんか?
漠然とした不安=対象のはっきりしない不安ってことですね。

これは、何か考えたくないものを無意識に考えないようにしている、ということかもしれません。
ただ、原因の話はともかくとして、いったん不安が漠然としたものになると、その不安が次から次へと他のものを巻き込んで不安がどんどん大きくなっていくという悪循環におちいることがあります。

不安の対象が一つあったとして、それを意識出来ていればそれ以上に不安が拡大していくことはあまりないのですが、意識できずにいると他の事柄にまで影響を及ぼしていきます。
意識できないということは、“不安の対象とされた事柄さん”の居場所が心の中でなくなっているということです。
居場所のない不安さんは、居場所がないのであちこちに進出して他を巻き込んでいくわけですね。

また、その影響で認知能力や処理能力が落ちてくるので、普段はどうってことないようなことや些細なことまで不安材料になり、同時にそのことも認識出来ていないという状態になっていきます。
そして、さらに“より漠然とした”不安に発展していくわけですね。

半分は既に述べている部分もありますが、また次の機会に、そういった漠然とした不安に対してどう対処するかって小話を書きたいと思います。

カウンセリングって…

カウンセリングの価値ってどこにあるかっていう問いは、人によって千差万別ですし、カウンセラーによってもおそらく意見が異なってくるものだろうと思います。

私自身も、たくさん言えることがあるように思えますが、一つあげるならばカウンセリングはオーダーメードの援助法ということが言えるのではないかと考えています。

たとえば、対人スキルの本であったり人生教訓のようなものもとても役に立つものですが、その時のその人にその本の言葉や考えが合ってくるかと言うと、それがフィットすることもあればまったくその人には響かないこともあります。

逆に言えば、それだけで事が終わるのであれば、答えが記されている本があればいいわけであって、我々カウンセラーは存在する意義がありません。
つまり、オーダーメードの援助ということの本質は対話ということにあるのですね。

カウンセラーという人は、出来るだけその人に波長を合わせながら、今、目の前の人と対話していきます。
こういう困ったことには‐こうすればいい・こう考えればいい、という知識のようなものももちろん備えてなければならない部分はありますが、究極的には予めに答えが決まっている訳ではないのです。

その人のパーソナリティ・その人の状況によって無数に可能性はあるので、それに対応していく技術・訓練がカウンセラーには必要になってきます。

また、カウンセラーが「はい、じゃ、あなたはこうしてくださいね」と単に教えるのではなく(なんかそれじゃ恐いですしね・・・)、カウンセラーと相談に来た方が一緒に考えていくこと‐つまり対話することでそこにオーダーメードの援助が生じてきます。

そんなところにカウンセリングの価値が一つはあるのではないかと思います。
もちろん、他にも様々な切り口はあると思うので、また何か思い付けば(?)書いていこうと思います。

夢の機能についての小話です。

不快な夢を見て、なんだか気分が悪くなった…という経験は誰にでもあるものです。
しかし、それほど夢を嫌う必要もありません。
夢という機能は、優れた特性を持っています。
一つは、現実生活でたくさん取り入れた情報を整理してくれる機能です。
また、情報だけでなく様々な感情・複雑な感情を整理してくれる機能もあると思います。
自浄機能ともいえるかもしれませんね。

つまり、不快な夢だとしても、前日のあなたより夢を見て目覚めた今日のあなたの方が少しスッキリしているはずなのです。
このように、夢を少し信頼することが出来たら、「あ~、昨日は疲れたなぁ…でも、なんだか夢もいっぱい見たようだし少しは癒されてるかな!」と夢を友達にすることが出来ます。

夢を嫌がっても嫌がらなくても、夢は機能しているものだと思いますが、夢を友達のようにあるいはサポーターのように感じることが出来れば、少しだけ心があたたかくなれるかもしれません。

そのうち、夢との付き合い方、という小話もしてみたいと思います。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。