カウンセリング・悩み相談の心in所沢

心理カウンセラーが綴るカウンセリングの小話&日記

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100か0か、は悩みやすい。

カウンセリング利用者や悩みやすい人の中で、非常に多くの人に共通するタイプというものがあります。

それは、100か0かで物事を考える傾向が強い、ということです。
別の言い方をすると、極端である、ということもできます。

たとえば何かの試験でたとえると、テストで100点が取れないのなら全く勉強しない、あるいは、勉強するとなると完璧を目指し衰弱してしまうのではないかというくらい必死になる、等のようなかたちになります。

上の例は文字通りの明快な例ですが、もっと微細な場合もあります。

「傷つくくらいなら、(何かに関して)動かない」、これも100か0か・極端な人の一つの形態でもあります。
絶対に負けたくない、負けることだけは死んでも嫌だ、等の思いも、その一つと言える場合があります。

そして、タイトルの通り、やはり100か0か・極端な傾向のある方は悩みやすいと思います。
悪循環に陥ることもあります。

しかし視点を変えると…
たとえば恋愛においては、「傷つくくらいなら動かない」のようなためらいも青春の一つでもありますし、可愛らしさと見る人もいると思います。
スポーツをやっている方等は、その負けたくない心性がうまく活かされる場合もあると思います。

とはいえ、そのように考えるためには、それらの傾向を柔軟にとらえることができているという条件が要ります。
しかし、そもそも100か0かの傾向は、柔軟さとは反対に位置しているものです。

これらの傾向が強ければ強い程、うまくいかないことや本人の主観として悩みがたくさんあるという状態につながりやすいので、悩みやすい方は一度このことについて考えてもいいかもしれません。

カウンセリングでも、これらのことが話題になることはありますが、もちろんこれらはあくまで一つの切り口です。
一つの切り口ですが、もしピンときやすい視点であるなら、これも重要な切り口にはなり得ると思います。

一期一会

以前にも書いたことがありますが、カウンセリングというのは、基本的には何を話すということが決まっているわけではありません(ある程度チャートを決めている場合もありますが)。

ですから、個人によって・同じ方でも各回の面接によって、内容・ニュアンスは異なってきます(もちろん、テーマとしては共通することはありますが、切り取り方や視点が変わることもあります)。

カウンセラー側の立場からすると、当然身につけてきた専門知識やカウンセラー個人としての傾向などが背景にありつつも、相手によって引き出される言葉が変わってくると感じることがあります。

その面接でしか出ないような言葉、その面接だからこそ出る言葉、と自分で気付くことがあり、改めて今・ここというものや相互性というものを感じます。

だから、カウンセリングは難しいとも言えます。

学問として、またはカウンセラー個人が実践の中で学んでいくコツのようなものは蓄積されていきますが、それらは共通項の抽出ということでもあります。

一回一回のカウンセリングは、来談者とカウンセラーの“ライブ”でもあるので、そこにカウンセリングの難しさと良さがあるのではないかと思います。

カウンセリングは、悩んでいることの要点を話してアドバイスをもらって終わりというイメージをもっている方もいるとは思います。

しかし、カウンセリングをライブ…生きている場としてとらえると(お互いに)、またそのような場になるにつれて、カウンセリングがより有意義に、より活用できる時間にすることもできると感じます。

罰としてのカウンセリング

カウンセリングの導入に関して思うことを書いてみます。

カウンセリングを自分で希望した場合は、それほどややこしいことにはなりませんが、頭を悩ませるのはカウンセリングを周囲の人間が勧める・もしくは導入する場合です。
(周囲の人間とは、家族・知人だけでなく、学校や関係機関なども想定しています)。

特に今回は、児童のカウンセリング導入に関することで個人的に気になることを書いてみます。

中学生以上になると自分でカウンセリング等を希望することもありますが、児童の場合はほとんどが、周囲の人間が児童をカウンセリングに行かせようとすることになります。

児童のカウンセリングの場合、比較的カウンセリングの目的や相談室等というものの説明をせずに、なんとくなく導入する場合も多いかと思います。
それは、カウンセリング(児童の場合、プレイセラピーであることが多いです)に行かせようとした周囲の人間だけでなくカウンセラー(プレイセラピスト)も同様です。

ただし、最近は児童であってもしっかりと説明をし児童の意志を確認するカウンセラー(プレイセラピスト)は増えてきた印象があります。

導入がなんとなくでも説明がなくても、児童は楽しく通うこともありますが、いつもそうとは限りません。

ここで、問題となるのは、周囲の人間が児童をカウンセリングに行かせようとする背景に、その児童が何らかの問題行動を起こしていることが発端となっている場合が多い、ということです。

周囲の人間の思惑にもよりますが、そうなると、敏感な児童は、これが問題行動に対する“罰”であると察知することもありますし、通うことを拒否する場合もあります。

そのあたりの子供に生じる感情の対処は、比較的カウンセラー任せであることも多いのですが、そこで生じる感情自体が既に子供を余計に傷つけていることもあります。
やはり個人的には罰のニュアンスでカウンセリングを導入するのはいかがなものかと残念に思うこともあります。

基本的には児童であろうとも、自分自身が何かに困っているという気持ちがあるのかどうか、カウンセリングを利用することでそれらに対処する・あるいは対処までいかなくても通うことで少しは気楽になる・元気になる、という意識が本人にあるかどうかは大切なことですし、周囲の人間もそれらの確認や導入にあたっての配慮が必要になってくるのではないかと思います(配慮といっても、嘘をついて連れていくのは最も好ましくないと思います)。

大人のカウンセリングに関しても、状況によっては近い問題がありますので、機会があればまたふれてみたいと思います。

カウンセリングの副作用(2)

カウンセリングの副作用(1)の続き

何が起きるのか言いますと、それまで抑えられてきた感情が強すぎた場合はカウンセラーの励まし(肯定)によって一時的に極端に自己主張したり素直に欲望しすぎることが引き起こされる、というものがまず挙げられます。

一方の極は、案外容易にもう一方の極をよび起こし易いものでもあるからです。

さらに、来談者がそのように変化することによって当然周囲の人間のフィードバック(反応)が変わってきます。
そして、その周囲の人間の反応が来談者にとっても好ましいものであれば問題はありませんが、そうではない場合もあります。

というのは、来談者のそれまでのあり方の上に来談者と周囲の人間達とのバランスが保たれていた場合、周囲の人間は以前の慣れ親しんだバランスに戻そうとその急激な変化に抵抗しようとすることがあります。
(分かりにくい言い方ですみませんが、これについては家族という視点という記事もご参照ください)。

具体的には、周囲の人間が「以前よりわがままになった」と感じ、冷たい対応や抵抗をしようとすることがあります。
これらのことは、プレイセラピー(子どものカウンセリング)でも起こりがちなことです。

そして、結果的には、来談者が傷ついたり、来談者ではなく周囲の人間がきつくなったり調子が悪くなる、ということが起きることがあります。

もちろん、それらのプロセスも長い目で見れば、新しいバランス(良好な状況)を生むきっかけになっていくこともありますが(そうはならないこともあります)、副作用といえば副作用かもしれません。

カウンセラー側としては、こういったリスクをも検討する視点が大切になってくると私は思います。

たとえば、来談者の素直な気持ちを極端な形で実現化するのではなく、来談者の中でじっくりあたためつつ少しずつ表現するに適した場所・場面で表現する、等のことを検討する視点です。

副作用と言えるものはこれだけではないでしょうが、カウンセリングを万能のものとしないためにも(そんなはずはないので)、このような視点は大切なのかもしれません。

カウンセリングの副作用(1)

「カウンセリングの副作用」というタイトルにしましたが、カウンセリングは薬ではないので副作用という言い方が適切かは分かりません。

実は、これ、かつて私が大学院受験をした時に試験の論述問題で出されたテーマでもあります。

確か「カウンセリングの副作用について述べよ」という問いだったと思いますが、当時「うわー、ひねくれた問題出すな~(※いい意味で)」と思ったものです。

その当時に私が書いたものが理想的な解答であったかは分かりませんが、今現在思うことを再び書いてみようかと思います。

(このテーマ、改めて考えてみると、カウンセリングをやっている人間(つまりカウンセラー)や学派、来談者の状況によって結構答えが変わってくるかもしれません。)

さて、カウンセリングですが、その目的の一つに、“素直に欲望すること”“正直に主張(表現)できるようになること”というものがあるかと思います(私見です)。

う~ん、素の欲望を自覚すること、と言った方がいいかもしれませんが、まあこれらについての細かい検討は省きます。

そして、これらを意識的に来談者に推奨しているカウンセラーもかなり多いように思います。
たとえば、「我慢しないで、あなたがやりたいことをやればいいのよ」や「~というお気持ちを~(誰々)に対して抱いているのに、それを言えてないなら、それを言ってみてはどうでしょうか?」といったことです。

来談者によっては、無理に何かを我慢したり、うまく表現できていないこともあるので、実際にこのような励ましによって、状況がよくなっていく場合もあります。

しかし、あまり何も考えずこれをどんどんやってしまうと、実はより状況が悪くなってしまうこともあります。
個人的には、こういう事態もかなり多いと感じています(偏見かもしれませんが、カウンセリングを万能に思っているカウンセラーほど無垢にこれをやってしまう印象があります)。

私的には、これをカウンセリングの副作用の一つと言ってもいいかなと思います。

カウンセリングの副作用(2)に続く

悩む時(2)

悩む時(1)の続き

多忙な人はどうかというと、多忙で悩んでいる暇がないので、比較的悩みにくいようには思います。

より正確には、悩んでもあまり引きずらない・泥沼化しにくいという感じでしょうか。
同時進行で色々と考えるのは普通困難だからです。

そうなると、暇な状況より、忙しい状況の方がいいようにも思えますが、これもそう単純ではありません。

“適度な”忙しさならいいのですが、キャパシティを越した忙しさはそれ自体がストレスになりますし、休むということを忘れてしまったかのように倒れるまで走り続ける人達もいます。

また、暇‐悩みが生じる時空間を作りたくがない故に、敢えて忙しくしている方もいます。
これは、適度なら一つの健全な対処法だとは思います。

実際に、家であれこれ悩みの原因や解決について考えるより、勇気を出してとりあえず外に出た方が遥かに問題の解決が早い場合もあります。

ただ、本当は考えなければいけない(と本人が思っている)ことや、何かから目をそむけたい一心でひたすら走り続けている場合(これは無意識のこともあります)は、知らず知らずにより悩みの大きさが大きくなるので、少し休んだ方がいい場合もあります。

暇な時は悩みやすく泥沼にはまりやすいけれども、とても忙しい時は悩みに気付きにくい、という言い方ができるかもしれません。

ポジティブな言い方をするならば、適度な暇は色々と味わい深くなり、適度な忙しさは現実的に歩を進めていく、という感じでしょうか。

結局は、バランスが大切ということですね。

悩む時(1)

人が、どんな時に悩むかということについて考えてみたいと思います。

悩みがある時に悩むという当たり前の言い方もできますが、今回はどんな状況・時間の進み方の時に悩みやすいか、ということについて述べてみたいと思います。

具体的には、暇な時と忙しい時、どちらの方が悩みやすいか、です。

私見ですが、悩みやすいのは、多忙な時よりも暇な時だと思います。
することがない時といってもいいかもしれません。

人間、心の隙間(空いた部分)がある時は、そのスペースを何かで埋めたくなる傾向があるように思います。
あるいは、暇になるとそれまで考えないようにしていた悩み事が浮かんできたりするものです。

暇を単純に余暇として楽しんだり、楽しい空想や未来志向のもので埋められればいいのかもしれませんが、ネガティブなことや嫌な過去・未来への不安等でいっぱいいっぱいになってしまう場合もあります。

さらに、その方向性をつきつめればつきつめる程、泥沼化していくこともあります(つまり、方向を変えればいいわけですが)。

なので、休むことばかり強調するカウンセラーもいますが、今はカウンセラーによっては、簡単に会社や学校を休むことや辞めることを推奨しない場合もあります(カウンセラーの傾向は、時代や理論背景なども色々とからんでいると思います)。
もちろん、個々人によって事情も対応も異なりますので、一概には言えませんが。

続きで、忙しい時について述べます。

悩む時(2)に続く

カウンセリングにおける矛盾

※今回は私見というか私の姿勢も含まれるかもしれない内容なので、必ずしもこれがスタンダードというわけではないと思います(まあ、毎回そうですが)。

カウンセリングを利用するということは、自分の悩みなり困った状況をなんとかしたくて・あるいは人に聞いてもらいたくて、来談するわけです、ほとんどの場合。

しかし、来談する全ての人がスムースに悩みや状況を話せるわけではありません。

様々な理由があると思いますが、そもそも悩みについて“考えなければいけない”ということは、人間けっこうしんどい作業なのです。
(“考える”は“エネルギーをそそぐ”という表現でもいいかもしれません)。

悩みというのは考えなければいけないことのようで考えたくないことでもあり、そこから目をそむけたい心理も働きます。
これを抵抗や防衛といった概念で考える人もいます。

なので、カウンセリングに来て黙ってしまう方もいます(もちろん、これも理由は様々ですが)。
完全に黙っているという方は稀ですが、核心的な部分は巧みに(無意識に)スルーする等、ちょくちょくこのようなことが起きています。
カウンセリングで、悩みを相談しにきているのに、相談していないということが起きがちなのです

また、簡潔に結論だけを話しすぐにアドバイスを求める方もいますが、このような方も実はそれについて“考えたくない・触れたくない”心理、あるいはその労力をカウンセラーに担ってもらいたい心理、が働いていることもあるかと思います。
(ただ、こちら側がそれをやってしまうと、ほとんど話を聞かないでアドバイスをするようなものなってしまいますので、慎重になります)。

で、カウンセラーとしてどうするかは、無理なく話せる範囲で話してもらう・話し合う、ということが基本です。
ただし、その無理なくの範囲が極めて小さい場合は、もう少し広がるといいな、と願います。

つまり、やはりそう簡単ではない、ということです。
また、時間の経過やタイミング、来談者が感じられる安心感に応じて、話す範囲や深さも変化していきます。

実は、こういったことはカウンセリングの場でなくても、同じです。
悩んでいる人は日常でも、考えたくない・でも、考えなきゃ、という葛藤があります。

私は、それについては、真面目になりすぎなくてもいい、と思います。
気晴らしにTVを楽しんで忘れてもいいでしょうし、目をそらすために寝てもいいと思います。
そうしないとやってられない場合もあるからです。

ただ、そうやってエネルギーを回復しながら、なんとかかんとかやっているうちに悩んでいることに向かえることもあるし、いつの間にか消えてることもあります。
(消えるどころか、より存在感・圧迫感が増す場合もありますが)。

カウンセリングを利用する場合は少しだけ日常と異なってくることもあります。
一人で悩んでいる場合は、話し相手ができるということもありますが、そもそもそういう場所・そのための構造であるということです。
これによって多少集約することが出来るわけです。

受験生がわざわざ図書館に行って勉強する(図書館に行くと勉強するしかない気持ちになる)のに近いかもしれません。
もちろん、例えなのでカウンセリング=勉強というわけではありませんが。
それと、今回の内容のように、図書館に勉強しにいって勉強しないということもあるかもしれませんね(笑)

夢分析?(2)

夢分析?(1)の続き

を題材にすれば必然的に内面に目を向けるかたちになります。
そこから、イメージ・情緒・思考の展開が期待できるかもしれません。
なので、こんな私でもごく稀に夢について話をふってみることがあります。

もちろん、時期尚早ということもあるかもしれないし、内面について考えたくなければそれはそれで構わないので、一つの選択肢(提案)ということです。

また、先ほど心因的な身体症状ということを書きましたが、社会的には忙しくバリバリに働いて活躍している方などに内面に意識を向けることが苦手な方が多いように感じます。
何か不調を感じ、病院に行ったら「なにか心の問題だろう」と言われカウンセリングに来たはいいが…といったパターンが多いです。

人間あまりにも自分の気持ちや心に目を向けなくなると、難しいことは考えないが、なんとなく渇いた感じになってくるのだと思います。

そのような場合、カウンセリングの利用如何にかかわらず、毎日見ている夢に少し意識を向けてみることも悪くないかもしれません。

逆に、誰が言うでもなく、夢を意識していたり、自分の気持ちについて色々と感じ考えている方たちもいます。
このような方々もある意味優れていると思いますが、泥沼にはまることもあるので、一方で現実感覚も大切になってくるのではないかと思います。

夢分析?(1)

カウンセリングというと、夢分析というイメージを持たれている方もいるかと思います。

夢をカウンセリングで取り扱うかどうかは、積極的に扱うカウンセラーとそうでないカウンセラーがいると思います。

主に、精神分析(フロイトやユング等)に傾倒しているカウンセラーは夢を話題にする方が比較的多いのではないでしょうか。

夢を扱うといっても、「あなたは~の夢を見たから~です」といった断言して終わるものではなく、“そこから何が連想されるか・それについてどう感じるか”といったことを重視していると思います。

で、私は自分から夢を話題にすることはほとんどありません。
(余談ですが、私の学生時代の指導教授は夢の専門家でもありましたが、それにもかかわらず…)
ありませんが、来談者の方から夢の話をされることもあるので、それは拒否しませんし、ごく稀にこちらから夢について尋ねることもあります。

夢を通して、どうなるか、ということについては色々あるのだと思いますが、私は分析うんぬんの前に一つ重要な意義を感じることがあります。

それは、に意識を向けるとその人が自分の内面に目を向ける、という点です。
ひどく当たり前のようなことなので、色々な人からお叱りを受けそうですが、どうぞお許しを。

というのも、カウンセリングに来ているにもかかわらず自分の気持ちや内面に目を向けることが苦手な方も意外に多いのです。
(心因的な身体症状が出ている方などに多いです)。

夢分析?(2)に続く

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