カウンセリング・悩み相談の心in所沢

心理カウンセラーが綴るカウンセリングの小話&日記

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芸能人・有名人の話

皆さん、好きな芸能人・有名人っていますか?

というのは、たまにカウンセリングの中でも、自然にそういう話が出てくることもあるし、こちらからも「たとえば、芸能人でいうと、誰みたいな感じなんですか?」と質問することもあったりします。

もちろんそれは必須の話題でもないし、全然意味深な質問でもないのですが、考えてみたら芸能人ってありがたい存在だよなぁと思ったりもします。
多くの人に話題を提供してくれてますからね。

例え話として芸能人を出す場合、それそのものはさほど正確な話にはならないとしても(例えの描写・精度として)、なんとなく場が明るくなることが多いですね。

通常のコミュニケーションでいうところの、天気の話・食の話みたいな便利さがあるのかなと感じたりしています。
天気よりは、もう一歩踏み込んでますかね。

いや、カウンセリングにはある意味無関係とはいえ、ちょっとした雑談も交えた方が場は和みやすいんですよね。
つまり芸能人でなくたっていいのですが、好きな芸能人の話とかはこちらも聴いていると楽しくなりますね。

ただ、最近私は、ほとんどテレビ見てないんですよね・・・。
質問しといて、結局それが誰なのか分からないことも多々(笑)。

あ、もちろん、テレビの話や芸能の話が嫌いな人は、「カウンセリングでは、そういう話もしなくちゃいけないのか」とか思わなくていいですからね。
全然そんなことはないですから(笑)。

「変わってる人」って何だろう

心理学を学ぶ人や心理士を目指す人は、変わっている人が多い、という話をよく聞きます。

でも、心理の分野に限らず「あの人は変わっている」とか「私は変わっている人」というのは、よく聞く言葉ですよね。

「変わっている」とは何を指すのでしょうね。

変人という言い方もよく聞きますが、それの指す内容は、実はそれほど一定のものがあるわけではないと思います。

ちなみに「私は変わっている」ということをひそかに嬉しそうに思っている人も多いですし、「あの人は変わっている」ということを批判的に言う人もいます。

つまり、実態がどうであるかより、何かを言うために、変わっているという表現が使われている部分も大きいかと思います。

(基本的に実態はないと思いますが、心理の分野特有のものとして、漠然と指していることは恐らくありますが、それについてはまたいずれ書きます。)

しかし、基本的には心理の分野に限らず「変わってる人」はいくらでもいますし、多くの領域・業界で変わっている人はたくさんいるのでしょう。

変わっているのか、(どこにでもいるのなら)変わっていないのか、よく分からなくなってきますね。

変わっているということを気にしてしまう方は、そんなもんだ、と思ってもいいかもしれません。

自分のアイデンティティとして、あるいは誰かについて「変わっている」と思いたい・考えたい方は、なぜ変わっていると言いたいか、に着目してみるのも面白いかもしれません。

カウンセリングに行くべき人は誰か(2)

カウンセリングに行くべき人は誰か(1)の続き

…どんな世界ができてくるかというと、「誰かが誰かをおかしい、治すべきだ」と思った時に初めて、カウンセリングが利用されることになるのです。
ここはかなり重要な転回点です。

そして、「誰かが自分をおかしいとは言わないが、私は悩んでいる」という理由でカウンセリングを利用するのは、恥ずかしいと感じたりためらいがちになってきます。

なぜなら、カウンセリングはおかしい人を治すものであるとするならば、利用することによって、自分で自分をおかしい人だと認めてしまうことになるからです。
(もちろん、自分のことをおかしい人と思っても構わないのですが、本来はそのことで抵抗を感じる必要はない、ということです。)

以前の記事でも書きましたが、実際に児童カウンセリングの分野では児童自身の意向は問われないことが多いですし、児童のカウンセリング(やプレイセラピー)は、問題児を修正するものとしか思われていない部分があります。
なので、少しずつそういう逆転した世界になりつつあると感じます。
(私は児童の分野で働いていた時は、それが窮屈で仕方ありませんでした。)

児童の分野ほどではありませんが、成人のカウンセリングでも、このような視点が浸透しつつあるように思います。
カウンセリングといえば、おかしい人が行くもの、というよく聞くあれです。
そして、実際にカウンセリングに行こうと考える方が、それらに影響されて迷うことになります。

行ったとしても、「私が何をどう感じるか」や「どうありたいか」ではなく「治してくれるのか」や「(私の気持ちや考えは差し置いて)どうすればいいか」ばかりを気にすることになりかねません。
「私が自分で自分のことを決めてはいけない・決められるものではない」と無意識に感じている状態とも言えます。

しかし、カウンセリングとは、あなたがあなたの悩みに対してあなた色で感じ・考えていく過程であり、カウンセラーはそのお手伝いの専門家です。
なぜなら、最終的にはあなたの納得がなければうまくいったとは言えないからです。
あなたが主人公となる体験・過程でなければあまり意味がないのです。

勘の良い方は気づかれたと思いますが、実のところ、一つ目の視点は第三者の視点・客観的な視点ということでありながら、第三者の(利用者に対する)主観でもあるのです。
客観というのは、ある人から見た別の誰かもしくは別の誰か達の主観です。

客観というのは所詮そんなものですが、上記のように利用者がそれ(客観という名の主観)に飲み込まれてしまっていることがあります

私は、カウンセリングは「悩んでいる人・相談したい人・利用したい人」が利用することのできるサービスだと思っています。
だから、(一部の例外を除き)基本的には誰が利用してもいいものなのです。

私の願いは、そういうカウンセリングの文化が広まっていくことです。
カウンセリングは誰のためのものか、が改めて問われている時代にきていると思います。

カウンセリングに行くべき人は誰か(1)

カウンセリングというのは、効果や必要性ということがよく語られます。
言葉をかえれば「誰がカウンセリングに行くのか、そして、何をもってして効果とするか」というお話です。

非常に繊細な話なので、ちょっと書きにくいことなのですが、大事なことなので書いてみます。
皆さん「私はカウンセリングに行くべき人なのか」と迷っているならば、ぜひこの記事をお読みください。

効果や必要性というものは、実は二種類の捉え方があり得ます。

・一つは、客観的な視点です。
カウンセリングを利用する人自身についてのことや、その人の変化や経過等を外から見た視点、つまり第三者視点(客観的視点)で見たものです。


・もう一つは、カウンセリングを利用する人側の主観的な視点です。
カウンセリングを利用する方がどう考えるかというその人の主観、そしてその主観でとらえる自分の変化もしくはトータルな意味での満足感(効果)、等です。


この二つがあることに皆さん気付かれてましたか?
二つの視点はごちゃごちゃにされていることが多いと思います。

意見は分かれると思いますが、私は、どちらかというと、この二つ目の視点の方が大事だと思っています。
なぜなら、カウンセリングの予約をする方が本来求めていることは二つ目のそれだからです。

以下、その理由を述べていきます。

まず、効果についてです。
当たり前なのですが、たとえばカウンセラーが利用者に対して「あなたは、もう十分カウンセリングの効果がありましたよ」あるいは「まだ効果が出てないようですね」等のことを言うのは、そもそも変な話なのです。
これは文脈によっては滑稽な言葉に映ると思います。

カウンセラーはそんな結論をくだせる立場ではないのです。
なぜなら、そう言われても利用者が全くそう感じていなければ、意味のない話だからです。

なので、実のところ効果といったところで、利用者それぞれの反応があるという理由で、万人に通用するような定まった基準はないと私は考えます。

また、あくまでプロセスの中でのやりとりとしてカウンセラーから見た変化を語るのであれば、特に問題ではありませんが、カウンセリングの場合、基本的には利用者がどう感じているかに重きがあるものです。

つまり利用者が“自分のために”カウンセリングに通っているのであれば、利用者がどう感じているかが全てになります。

これらは、皆さんは当たり前のことだと思いますでしょうか?
後で述べますが、実は既に当たり前のことではなくなってきています

次に、必要性ということについて。
利用者側の主観に重きがあるとする立場に立てば、他人やカウンセラー側が「あなたは~等色々とおかしいし問題があるから、カウンセリングの必要性がある」という話も実はおかしいということになります。

少し難しくなりますが、ここが「治す・治してもらう」という医療的発想とは異なる部分だと私は思います。

もちろん、カウンセラー側も最終的な利用者の利益を考えて、利用者の社会的適応がどうであるか、等についても考えますし、そのことの心配もあれば、バランスをとろうと試みることもあると思います。

しかし、これらを推し進めていくとどんな世界ができてくるかというと…
カウンセリングに行くべき人は誰か(2)に続きます。

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