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カウンセリングにおける矛盾
※今回は私見というか私の姿勢も含まれるかもしれない内容なので、必ずしもこれがスタンダードというわけではないと思います(まあ、毎回そうですが)。
カウンセリングを利用するということは、自分の悩みなり困った状況をなんとかしたくて・あるいは人に聞いてもらいたくて、来談するわけです、ほとんどの場合。
しかし、来談する全ての人がスムースに悩みや状況を話せるわけではありません。
様々な理由があると思いますが、そもそも悩みについて“考えなければいけない”ということは、人間けっこうしんどい作業なのです。
(“考える”は“エネルギーをそそぐ”という表現でもいいかもしれません)。
悩みというのは考えなければいけないことのようで考えたくないことでもあり、そこから目をそむけたい心理も働きます。
これを抵抗や防衛といった概念で考える人もいます。
なので、カウンセリングに来て黙ってしまう方もいます(もちろん、これも理由は様々ですが)。
完全に黙っているという方は稀ですが、核心的な部分は巧みに(無意識に)スルーする等、ちょくちょくこのようなことが起きています。
カウンセリングで、悩みを相談しにきているのに、相談していないということが起きがちなのです。
また、簡潔に結論だけを話しすぐにアドバイスを求める方もいますが、このような方も実はそれについて“考えたくない・触れたくない”心理、あるいはその労力をカウンセラーに担ってもらいたい心理、が働いていることもあるかと思います。
(ただ、こちら側がそれをやってしまうと、ほとんど話を聞かないでアドバイスをするようなものなってしまいますので、慎重になります)。
で、カウンセラーとしてどうするかは、無理なく話せる範囲で話してもらう・話し合う、ということが基本です。
ただし、その無理なくの範囲が極めて小さい場合は、もう少し広がるといいな、と願います。
つまり、やはりそう簡単ではない、ということです。
また、時間の経過やタイミング、来談者が感じられる安心感に応じて、話す範囲や深さも変化していきます。
実は、こういったことはカウンセリングの場でなくても、同じです。
悩んでいる人は日常でも、考えたくない・でも、考えなきゃ、という葛藤があります。
私は、それについては、真面目になりすぎなくてもいい、と思います。
気晴らしにTVを楽しんで忘れてもいいでしょうし、目をそらすために寝てもいいと思います。
そうしないとやってられない場合もあるからです。
ただ、そうやってエネルギーを回復しながら、なんとかかんとかやっているうちに悩んでいることに向かえることもあるし、いつの間にか消えてることもあります。
(消えるどころか、より存在感・圧迫感が増す場合もありますが)。
カウンセリングを利用する場合は少しだけ日常と異なってくることもあります。
一人で悩んでいる場合は、話し相手ができるということもありますが、そもそもそういう場所・そのための構造であるということです。
これによって多少集約することが出来るわけです。
受験生がわざわざ図書館に行って勉強する(図書館に行くと勉強するしかない気持ちになる)のに近いかもしれません。
もちろん、例えなのでカウンセリング=勉強というわけではありませんが。
それと、今回の内容のように、図書館に勉強しにいって勉強しないということもあるかもしれませんね(笑)
カウンセリングを利用するということは、自分の悩みなり困った状況をなんとかしたくて・あるいは人に聞いてもらいたくて、来談するわけです、ほとんどの場合。
しかし、来談する全ての人がスムースに悩みや状況を話せるわけではありません。
様々な理由があると思いますが、そもそも悩みについて“考えなければいけない”ということは、人間けっこうしんどい作業なのです。
(“考える”は“エネルギーをそそぐ”という表現でもいいかもしれません)。
悩みというのは考えなければいけないことのようで考えたくないことでもあり、そこから目をそむけたい心理も働きます。
これを抵抗や防衛といった概念で考える人もいます。
なので、カウンセリングに来て黙ってしまう方もいます(もちろん、これも理由は様々ですが)。
完全に黙っているという方は稀ですが、核心的な部分は巧みに(無意識に)スルーする等、ちょくちょくこのようなことが起きています。
カウンセリングで、悩みを相談しにきているのに、相談していないということが起きがちなのです。
また、簡潔に結論だけを話しすぐにアドバイスを求める方もいますが、このような方も実はそれについて“考えたくない・触れたくない”心理、あるいはその労力をカウンセラーに担ってもらいたい心理、が働いていることもあるかと思います。
(ただ、こちら側がそれをやってしまうと、ほとんど話を聞かないでアドバイスをするようなものなってしまいますので、慎重になります)。
で、カウンセラーとしてどうするかは、無理なく話せる範囲で話してもらう・話し合う、ということが基本です。
ただし、その無理なくの範囲が極めて小さい場合は、もう少し広がるといいな、と願います。
つまり、やはりそう簡単ではない、ということです。
また、時間の経過やタイミング、来談者が感じられる安心感に応じて、話す範囲や深さも変化していきます。
実は、こういったことはカウンセリングの場でなくても、同じです。
悩んでいる人は日常でも、考えたくない・でも、考えなきゃ、という葛藤があります。
私は、それについては、真面目になりすぎなくてもいい、と思います。
気晴らしにTVを楽しんで忘れてもいいでしょうし、目をそらすために寝てもいいと思います。
そうしないとやってられない場合もあるからです。
ただ、そうやってエネルギーを回復しながら、なんとかかんとかやっているうちに悩んでいることに向かえることもあるし、いつの間にか消えてることもあります。
(消えるどころか、より存在感・圧迫感が増す場合もありますが)。
カウンセリングを利用する場合は少しだけ日常と異なってくることもあります。
一人で悩んでいる場合は、話し相手ができるということもありますが、そもそもそういう場所・そのための構造であるということです。
これによって多少集約することが出来るわけです。
受験生がわざわざ図書館に行って勉強する(図書館に行くと勉強するしかない気持ちになる)のに近いかもしれません。
もちろん、例えなのでカウンセリング=勉強というわけではありませんが。
それと、今回の内容のように、図書館に勉強しにいって勉強しないということもあるかもしれませんね(笑)
