カウンセリング・悩み相談の心in所沢

心理カウンセラーが綴るカウンセリングの小話&日記

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罰としてのカウンセリング

カウンセリングの導入に関して思うことを書いてみます。

カウンセリングを自分で希望した場合は、それほどややこしいことにはなりませんが、頭を悩ませるのはカウンセリングを周囲の人間が勧める・もしくは導入する場合です。
(周囲の人間とは、家族・知人だけでなく、学校や関係機関なども想定しています)。

特に今回は、児童のカウンセリング導入に関することで個人的に気になることを書いてみます。

中学生以上になると自分でカウンセリング等を希望することもありますが、児童の場合はほとんどが、周囲の人間が児童をカウンセリングに行かせようとすることになります。

児童のカウンセリングの場合、比較的カウンセリングの目的や相談室等というものの説明をせずに、なんとくなく導入する場合も多いかと思います。
それは、カウンセリング(児童の場合、プレイセラピーであることが多いです)に行かせようとした周囲の人間だけでなくカウンセラー(プレイセラピスト)も同様です。

ただし、最近は児童であってもしっかりと説明をし児童の意志を確認するカウンセラー(プレイセラピスト)は増えてきた印象があります。

導入がなんとなくでも説明がなくても、児童は楽しく通うこともありますが、いつもそうとは限りません。

ここで、問題となるのは、周囲の人間が児童をカウンセリングに行かせようとする背景に、その児童が何らかの問題行動を起こしていることが発端となっている場合が多い、ということです。

周囲の人間の思惑にもよりますが、そうなると、敏感な児童は、これが問題行動に対する“罰”であると察知することもありますし、通うことを拒否する場合もあります。

そのあたりの子供に生じる感情の対処は、比較的カウンセラー任せであることも多いのですが、そこで生じる感情自体が既に子供を余計に傷つけていることもあります。
やはり個人的には罰のニュアンスでカウンセリングを導入するのはいかがなものかと残念に思うこともあります。

基本的には児童であろうとも、自分自身が何かに困っているという気持ちがあるのかどうか、カウンセリングを利用することでそれらに対処する・あるいは対処までいかなくても通うことで少しは気楽になる・元気になる、という意識が本人にあるかどうかは大切なことですし、周囲の人間もそれらの確認や導入にあたっての配慮が必要になってくるのではないかと思います(配慮といっても、嘘をついて連れていくのは最も好ましくないと思います)。

大人のカウンセリングに関しても、状況によっては近い問題がありますので、機会があればまたふれてみたいと思います。

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