カウンセリング・悩み相談の心in所沢

心理カウンセラーが綴るカウンセリングの小話&日記

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カウンセリングに行くべき人は誰か(2)

カウンセリングに行くべき人は誰か(1)の続き

…どんな世界ができてくるかというと、「誰かが誰かをおかしい、治すべきだ」と思った時に初めて、カウンセリングが利用されることになるのです。
ここはかなり重要な転回点です。

そして、「誰かが自分をおかしいとは言わないが、私は悩んでいる」という理由でカウンセリングを利用するのは、恥ずかしいと感じたりためらいがちになってきます。

なぜなら、カウンセリングはおかしい人を治すものであるとするならば、利用することによって、自分で自分をおかしい人だと認めてしまうことになるからです。
(もちろん、自分のことをおかしい人と思っても構わないのですが、本来はそのことで抵抗を感じる必要はない、ということです。)

以前の記事でも書きましたが、実際に児童カウンセリングの分野では児童自身の意向は問われないことが多いですし、児童のカウンセリング(やプレイセラピー)は、問題児を修正するものとしか思われていない部分があります。
なので、少しずつそういう逆転した世界になりつつあると感じます。
(私は児童の分野で働いていた時は、それが窮屈で仕方ありませんでした。)

児童の分野ほどではありませんが、成人のカウンセリングでも、このような視点が浸透しつつあるように思います。
カウンセリングといえば、おかしい人が行くもの、というよく聞くあれです。
そして、実際にカウンセリングに行こうと考える方が、それらに影響されて迷うことになります。

行ったとしても、「私が何をどう感じるか」や「どうありたいか」ではなく「治してくれるのか」や「(私の気持ちや考えは差し置いて)どうすればいいか」ばかりを気にすることになりかねません。
「私が自分で自分のことを決めてはいけない・決められるものではない」と無意識に感じている状態とも言えます。

しかし、カウンセリングとは、あなたがあなたの悩みに対してあなた色で感じ・考えていく過程であり、カウンセラーはそのお手伝いの専門家です。
なぜなら、最終的にはあなたの納得がなければうまくいったとは言えないからです。
あなたが主人公となる体験・過程でなければあまり意味がないのです。

勘の良い方は気づかれたと思いますが、実のところ、一つ目の視点は第三者の視点・客観的な視点ということでありながら、第三者の(利用者に対する)主観でもあるのです。
客観というのは、ある人から見た別の誰かもしくは別の誰か達の主観です。

客観というのは所詮そんなものですが、上記のように利用者がそれ(客観という名の主観)に飲み込まれてしまっていることがあります

私は、カウンセリングは「悩んでいる人・相談したい人・利用したい人」が利用することのできるサービスだと思っています。
だから、(一部の例外を除き)基本的には誰が利用してもいいものなのです。

私の願いは、そういうカウンセリングの文化が広まっていくことです。
カウンセリングは誰のためのものか、が改めて問われている時代にきていると思います。

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