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カウンセリング 心理関連の記事一覧は目次をご覧ください。
学食
先日、心理士等を対象にした研修で東京大学の本郷キャンパスに行ってきました。
東京大学には初めて行きました。
赤門を通って入り研修会場が有名な安田講堂だったので「へ〜これがよくきく赤門と安田講堂か〜」など思いちょっとした観光気分になりました。
研修はアメリカから来た心理の教授が講義をしてくださり、同時通訳の機器を使いながら聞きました。
(当たり前かもしれませんが)ものすごい速さで同時通訳していて「プロってすごいな〜」と感心しました。
「通訳の方ついてきているかな?」という言葉に対し、「ついてきてますよ!」等の返事はせずそれも忠実に訳していました(笑)。
さて、この研修での私にとっての最大の関心事は学食でした。
最近の大学の学食は美味しいという評判を聞いたり、ニュースの特集でも学食特集を見たことがありました。
一般に学食を開放している大学もあるようです。
特に東京大学の学食は有名なようなので、期待しました。
学生時代の学食が今は気軽に食べられないのが時々残念にも思っていましたので。
お昼になり、大学院時代の仲間にも偶然会ったので合流し三人で学食を食べました!
まずセルフでお茶を注ぎ、その薄さに感動しました(学食らしい)。
私は、定食を食べましたが、東京大学といえども学食特有のチープ感とお得感があり、とても満喫できました。
味は、そもそも高級レストランのようなものを期待しているわけではないので、十分満足です。
一緒に食べた仲間が言うには「まあまあだね」とのことです。
ただ、フライにトマトソースのようなものがかかっていて東大は洒落てるなぁとも思いました。
ざっくばらんな学食職員の方たちの雰囲気や、おおざっぱだけど値段が安く量が多いところなども学食はいいですね。
うまく言えませんが、一番はやはり慣れ親しんだ味がするというのがいいのかもしれません。
(東大学食でも私の学生時代の学食の味に似ていました)。
また機会があったら是非どこかの学食を食べてみたいなぁと思います。
東京大学には初めて行きました。
赤門を通って入り研修会場が有名な安田講堂だったので「へ〜これがよくきく赤門と安田講堂か〜」など思いちょっとした観光気分になりました。
研修はアメリカから来た心理の教授が講義をしてくださり、同時通訳の機器を使いながら聞きました。
(当たり前かもしれませんが)ものすごい速さで同時通訳していて「プロってすごいな〜」と感心しました。
「通訳の方ついてきているかな?」という言葉に対し、「ついてきてますよ!」等の返事はせずそれも忠実に訳していました(笑)。
さて、この研修での私にとっての最大の関心事は学食でした。
最近の大学の学食は美味しいという評判を聞いたり、ニュースの特集でも学食特集を見たことがありました。
一般に学食を開放している大学もあるようです。
特に東京大学の学食は有名なようなので、期待しました。
学生時代の学食が今は気軽に食べられないのが時々残念にも思っていましたので。
お昼になり、大学院時代の仲間にも偶然会ったので合流し三人で学食を食べました!
まずセルフでお茶を注ぎ、その薄さに感動しました(学食らしい)。
私は、定食を食べましたが、東京大学といえども学食特有のチープ感とお得感があり、とても満喫できました。
味は、そもそも高級レストランのようなものを期待しているわけではないので、十分満足です。
一緒に食べた仲間が言うには「まあまあだね」とのことです。
ただ、フライにトマトソースのようなものがかかっていて東大は洒落てるなぁとも思いました。
ざっくばらんな学食職員の方たちの雰囲気や、おおざっぱだけど値段が安く量が多いところなども学食はいいですね。
うまく言えませんが、一番はやはり慣れ親しんだ味がするというのがいいのかもしれません。
(東大学食でも私の学生時代の学食の味に似ていました)。
また機会があったら是非どこかの学食を食べてみたいなぁと思います。
カウンセリングの副作用(2)
カウンセリングの副作用(1)の続き
何が起きるのか言いますと、それまで抑えられてきた感情が強すぎた場合はカウンセラーの励まし(肯定)によって一時的に極端に自己主張したり素直に欲望しすぎることが引き起こされる、というものがまず挙げられます。
一方の極は、案外容易にもう一方の極をよび起こし易いものでもあるからです。
さらに、来談者がそのように変化することによって当然周囲の人間のフィードバック(反応)が変わってきます。
そして、その周囲の人間の反応が来談者にとっても好ましいものであれば問題はありませんが、そうではない場合もあります。
というのは、来談者のそれまでのあり方の上に来談者と周囲の人間達とのバランスが保たれていた場合、周囲の人間は以前の慣れ親しんだバランスに戻そうとその急激な変化に抵抗しようとすることがあります。
(分かりにくい言い方ですみませんが、これについては家族という視点という記事もご参照ください)。
具体的には、周囲の人間が「以前よりわがままになった」と感じ、冷たい対応や抵抗をしようとすることがあります。
これらのことは、プレイセラピー(子どものカウンセリング)でも起こりがちなことです。
そして、結果的には、来談者が傷ついたり、来談者ではなく周囲の人間がきつくなったり調子が悪くなる、ということが起きることがあります。
もちろん、それらのプロセスも長い目で見れば、新しいバランス(良好な状況)を生むきっかけになっていくこともありますが(そうはならないこともあります)、副作用といえば副作用かもしれません。
カウンセラー側としては、こういったリスクをも検討する視点が大切になってくると私は思います。
たとえば、来談者の素直な気持ちを極端な形で実現化するのではなく、来談者の中でじっくりあたためつつ少しずつ表現するに適した場所・場面で表現する、等のことを検討する視点です。
副作用と言えるものはこれだけではないでしょうが、カウンセリングを万能のものとしないためにも(そんなはずはないので)、このような視点は大切なのかもしれません。
何が起きるのか言いますと、それまで抑えられてきた感情が強すぎた場合はカウンセラーの励まし(肯定)によって一時的に極端に自己主張したり素直に欲望しすぎることが引き起こされる、というものがまず挙げられます。
一方の極は、案外容易にもう一方の極をよび起こし易いものでもあるからです。
さらに、来談者がそのように変化することによって当然周囲の人間のフィードバック(反応)が変わってきます。
そして、その周囲の人間の反応が来談者にとっても好ましいものであれば問題はありませんが、そうではない場合もあります。
というのは、来談者のそれまでのあり方の上に来談者と周囲の人間達とのバランスが保たれていた場合、周囲の人間は以前の慣れ親しんだバランスに戻そうとその急激な変化に抵抗しようとすることがあります。
(分かりにくい言い方ですみませんが、これについては家族という視点という記事もご参照ください)。
具体的には、周囲の人間が「以前よりわがままになった」と感じ、冷たい対応や抵抗をしようとすることがあります。
これらのことは、プレイセラピー(子どものカウンセリング)でも起こりがちなことです。
そして、結果的には、来談者が傷ついたり、来談者ではなく周囲の人間がきつくなったり調子が悪くなる、ということが起きることがあります。
もちろん、それらのプロセスも長い目で見れば、新しいバランス(良好な状況)を生むきっかけになっていくこともありますが(そうはならないこともあります)、副作用といえば副作用かもしれません。
カウンセラー側としては、こういったリスクをも検討する視点が大切になってくると私は思います。
たとえば、来談者の素直な気持ちを極端な形で実現化するのではなく、来談者の中でじっくりあたためつつ少しずつ表現するに適した場所・場面で表現する、等のことを検討する視点です。
副作用と言えるものはこれだけではないでしょうが、カウンセリングを万能のものとしないためにも(そんなはずはないので)、このような視点は大切なのかもしれません。
カウンセリングの副作用(1)
「カウンセリングの副作用」というタイトルにしましたが、カウンセリングは薬ではないので副作用という言い方が適切かは分かりません。
実は、これ、かつて私が大学院受験をした時に試験の論述問題で出されたテーマでもあります。
確か「カウンセリングの副作用について述べよ」という問いだったと思いますが、当時「うわー、ひねくれた問題出すな〜(※いい意味で)」と思ったものです。
その当時に私が書いたものが理想的な解答であったかは分かりませんが(合格はしたのできっと最悪ではなかったのでしょう)、今現在思うことを再び書いてみようかと思います。
(このテーマ、改めて考えてみると、カウンセリングをやっている人間(つまりカウンセラー)や学派、来談者の状況によって結構答えが変わってくるかもしれません。)
さて、カウンセリングですが、その目的の一つに、“素直に欲望すること”“正直に主張(表現)できるようになること”というものがあるかと思います(私見です)。
う〜ん、素の欲望を自覚すること、と言った方がいいかもしれませんが、まあこれらについての細かい検討は省きます。
そして、これらを意識的に来談者に推奨しているカウンセラーもかなり多いように思います。
たとえば、「我慢しないで、あなたがやりたいことをやればいいのよ」や「〜というお気持ちを〜(誰々)に対して抱いているのに、それを言えてないなら、それを言ってみてはどうでしょうか?」といったことです。
来談者によっては、無理に何かを我慢したり、うまく表現できていないこともあるので、実際にこのような励ましによって、状況がよくなっていく場合もあります。
しかし、あまり何も考えずこれをどんどんやってしまうと、実はより状況が悪くなってしまうこともあります。
個人的には、こういう事態もかなり多いと感じています(偏見かもしれませんが、カウンセリングを万能に思っているカウンセラーほど無垢にこれをやってしまう印象があります)。
私的には、これをカウンセリングの副作用の一つと言ってもいいかなと思います。
カウンセリングの副作用(2)に続く
実は、これ、かつて私が大学院受験をした時に試験の論述問題で出されたテーマでもあります。
確か「カウンセリングの副作用について述べよ」という問いだったと思いますが、当時「うわー、ひねくれた問題出すな〜(※いい意味で)」と思ったものです。
その当時に私が書いたものが理想的な解答であったかは分かりませんが(合格はしたのできっと最悪ではなかったのでしょう)、今現在思うことを再び書いてみようかと思います。
(このテーマ、改めて考えてみると、カウンセリングをやっている人間(つまりカウンセラー)や学派、来談者の状況によって結構答えが変わってくるかもしれません。)
さて、カウンセリングですが、その目的の一つに、“素直に欲望すること”“正直に主張(表現)できるようになること”というものがあるかと思います(私見です)。
う〜ん、素の欲望を自覚すること、と言った方がいいかもしれませんが、まあこれらについての細かい検討は省きます。
そして、これらを意識的に来談者に推奨しているカウンセラーもかなり多いように思います。
たとえば、「我慢しないで、あなたがやりたいことをやればいいのよ」や「〜というお気持ちを〜(誰々)に対して抱いているのに、それを言えてないなら、それを言ってみてはどうでしょうか?」といったことです。
来談者によっては、無理に何かを我慢したり、うまく表現できていないこともあるので、実際にこのような励ましによって、状況がよくなっていく場合もあります。
しかし、あまり何も考えずこれをどんどんやってしまうと、実はより状況が悪くなってしまうこともあります。
個人的には、こういう事態もかなり多いと感じています(偏見かもしれませんが、カウンセリングを万能に思っているカウンセラーほど無垢にこれをやってしまう印象があります)。
私的には、これをカウンセリングの副作用の一つと言ってもいいかなと思います。
カウンセリングの副作用(2)に続く
ドラマ「Mの悲劇」
以前から、ドラマ「Mの悲劇」は気になっていたのですが、見ていませんでした。
先日、再放送をしていたので、見てみると、やはり気になり、DVDを借りてきて見ることにしました。
ものすごく面白かったです!
SMAPの稲垣吾郎さん、長谷川京子さん等が出演しています。
主人公が、初めて出会った女性から身に覚えのない嫌がらせを執拗にされる、という最初の展開から引きこまれます。
よく出来たミステリー小説を読んでいるように、止まりませんでしたね。
さらに、このドラマのテーマ(と思われる)が個人的にはとても好きで、稲垣さん演じる安藤が最後に語る言葉はとても印象的でした。
それは、普段から、私が大切にしたいと考えているものでもありました。
オススメのドラマです。
先日、再放送をしていたので、見てみると、やはり気になり、DVDを借りてきて見ることにしました。
ものすごく面白かったです!
SMAPの稲垣吾郎さん、長谷川京子さん等が出演しています。
主人公が、初めて出会った女性から身に覚えのない嫌がらせを執拗にされる、という最初の展開から引きこまれます。
よく出来たミステリー小説を読んでいるように、止まりませんでしたね。
さらに、このドラマのテーマ(と思われる)が個人的にはとても好きで、稲垣さん演じる安藤が最後に語る言葉はとても印象的でした。
それは、普段から、私が大切にしたいと考えているものでもありました。
オススメのドラマです。
悩む時(2)
悩む時(1)の続き
多忙な人はどうかというと、多忙で悩んでいる暇がないので、比較的悩みにくいようには思います。
より正確には、悩んでもあまり引きずらない・泥沼化しにくいという感じでしょうか。
同時進行で色々と考えるのは普通困難だからです。
そうなると、暇な状況より、忙しい状況の方がいいようにも思えますが、これもそう単純ではありません。
“適度な”忙しさならいいのですが、キャパシティを越した忙しさはそれ自体がストレスになりますし、休むということを忘れてしまったかのように倒れるまで走り続ける人達もいます。
また、暇‐悩みが生じる時空間を作りたくがない故に、敢えて忙しくしている方もいます。
これは、適度なら一つの健全な対処法だとは思います。
実際に、家であれこれ悩みの原因や解決について考えるより、勇気を出してとりあえず外に出た方が遥かに問題の解決が早い場合もあります。
ただ、本当は考えなければいけない(と本人が思っている)ことや、何かから目をそむけたい一心でひたすら走り続けている場合(これは無意識のこともあります)は、知らず知らずにより悩みの大きさが大きくなるので、少し休んだ方がいい場合もあります。
暇な時は悩みやすく泥沼にはまりやすいけれども、とても忙しい時は悩みに気付きにくい、という言い方ができるかもしれません。
ポジティブな言い方をするならば、適度な暇は色々と味わい深くなり、適度な忙しさは現実的に歩を進めていく、という感じでしょうか。
結局は、バランスが大切ということですね。
多忙な人はどうかというと、多忙で悩んでいる暇がないので、比較的悩みにくいようには思います。
より正確には、悩んでもあまり引きずらない・泥沼化しにくいという感じでしょうか。
同時進行で色々と考えるのは普通困難だからです。
そうなると、暇な状況より、忙しい状況の方がいいようにも思えますが、これもそう単純ではありません。
“適度な”忙しさならいいのですが、キャパシティを越した忙しさはそれ自体がストレスになりますし、休むということを忘れてしまったかのように倒れるまで走り続ける人達もいます。
また、暇‐悩みが生じる時空間を作りたくがない故に、敢えて忙しくしている方もいます。
これは、適度なら一つの健全な対処法だとは思います。
実際に、家であれこれ悩みの原因や解決について考えるより、勇気を出してとりあえず外に出た方が遥かに問題の解決が早い場合もあります。
ただ、本当は考えなければいけない(と本人が思っている)ことや、何かから目をそむけたい一心でひたすら走り続けている場合(これは無意識のこともあります)は、知らず知らずにより悩みの大きさが大きくなるので、少し休んだ方がいい場合もあります。
暇な時は悩みやすく泥沼にはまりやすいけれども、とても忙しい時は悩みに気付きにくい、という言い方ができるかもしれません。
ポジティブな言い方をするならば、適度な暇は色々と味わい深くなり、適度な忙しさは現実的に歩を進めていく、という感じでしょうか。
結局は、バランスが大切ということですね。
