悩む時(1)の続き
多忙な人はどうかというと、多忙で悩んでいる暇がないので、比較的悩みにくいようには思います。
より正確には、悩んでもあまり引きずらない・泥沼化しにくいという感じでしょうか。
同時進行で色々と考えるのは普通困難だからです。
そうなると、暇な状況より、忙しい状況の方がいいようにも思えますが、これもそう単純ではありません。
“適度な”忙しさならいいのですが、キャパシティを越した忙しさはそれ自体がストレスになりますし、休むということを忘れてしまったかのように倒れるまで走り続ける人達もいます。
また、暇‐悩みが生じる時空間を作りたくがない故に、敢えて忙しくしている方もいます。
これは、適度なら一つの健全な対処法だとは思います。
実際に、家であれこれ悩みの原因や解決について考えるより、勇気を出してとりあえず外に出た方が遥かに問題の解決が早い場合もあります。
ただ、本当は考えなければいけない(と本人が思っている)ことや、何かから目をそむけたい一心でひたすら走り続けている場合(これは無意識のこともあります)は、知らず知らずにより悩みの大きさが大きくなるので、少し休んだ方がいい場合もあります。
暇な時は悩みやすく泥沼にはまりやすいけれども、とても忙しい時は悩みに気付きにくい、という言い方ができるかもしれません。
ポジティブな言い方をするならば、適度な暇は色々と味わい深くなり、適度な忙しさは現実的に歩を進めていく、という感じでしょうか。
結局は、バランスが大切ということですね。
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カウンセリング 心理関連の記事一覧は目次をご覧ください。
悩む時(2)
悩む時(1)
人が、どんな時に悩むかということについて考えてみたいと思います。
悩みがある時に悩むという当たり前の言い方もできますが、今回はどんな状況・時間の進み方の時に悩みやすいか、ということについて述べてみたいと思います。
具体的には、暇な時と忙しい時、どちらの方が悩みやすいか、です。
私見ですが、悩みやすいのは、多忙な時よりも暇な時だと思います。
することがない時といってもいいかもしれません。
人間、心の隙間(空いた部分)がある時は、そのスペースを何かで埋めたくなる傾向があるように思います。
あるいは、暇になるとそれまで考えないようにしていた悩み事が浮かんできたりするものです。
暇を単純に余暇として楽しんだり、楽しい空想や未来志向のもので埋められればいいのかもしれませんが、ネガティブなことや嫌な過去・未来への不安等でいっぱいいっぱいになってしまう場合もあります。
さらに、その方向性をつきつめればつきつめる程、泥沼化していくこともあります(つまり、方向を変えればいいわけですが)。
なので、休むことばかり強調するカウンセラーもいますが、今はカウンセラーによっては、簡単に会社や学校を休むことや辞めることを推奨しない場合もあります(カウンセラーの傾向は、時代や理論背景なども色々とからんでいると思います)。
もちろん、個々人によって事情も対応も異なりますので、一概には言えませんが。
続きで、忙しい時について述べます。
悩む時(2)に続く
悩みがある時に悩むという当たり前の言い方もできますが、今回はどんな状況・時間の進み方の時に悩みやすいか、ということについて述べてみたいと思います。
具体的には、暇な時と忙しい時、どちらの方が悩みやすいか、です。
私見ですが、悩みやすいのは、多忙な時よりも暇な時だと思います。
することがない時といってもいいかもしれません。
人間、心の隙間(空いた部分)がある時は、そのスペースを何かで埋めたくなる傾向があるように思います。
あるいは、暇になるとそれまで考えないようにしていた悩み事が浮かんできたりするものです。
暇を単純に余暇として楽しんだり、楽しい空想や未来志向のもので埋められればいいのかもしれませんが、ネガティブなことや嫌な過去・未来への不安等でいっぱいいっぱいになってしまう場合もあります。
さらに、その方向性をつきつめればつきつめる程、泥沼化していくこともあります(つまり、方向を変えればいいわけですが)。
なので、休むことばかり強調するカウンセラーもいますが、今はカウンセラーによっては、簡単に会社や学校を休むことや辞めることを推奨しない場合もあります(カウンセラーの傾向は、時代や理論背景なども色々とからんでいると思います)。
もちろん、個々人によって事情も対応も異なりますので、一概には言えませんが。
続きで、忙しい時について述べます。
悩む時(2)に続く
朝青龍さん
朝青龍さん、復帰できたようで、よかったですね。
あまりにも追い詰められていたように見えたので、一視聴者ながら心配していました。
プロのスポーツ選手としては、まずいことをしたのかもしれませんが、TVの前に出る人ってのは、大変だなと感じます。
かえってくるものが、はんぱじゃないですからね。
多大なるストレスだったのではないかと想像します。
TV側の対応も個人的には気になるところもあったりしましたが、皆も今は復帰を喜んでいる雰囲気なんですかね。
もし、今後も活躍できるのなら、あれほど追い詰められた人でもまた頑張れるのだなぁ、と勇気づけられる気がします。
今後のご活躍、お祈りしています。
と、言いつつ、実は相撲には全く関心がない私でした(笑)。
あまりにも追い詰められていたように見えたので、一視聴者ながら心配していました。
プロのスポーツ選手としては、まずいことをしたのかもしれませんが、TVの前に出る人ってのは、大変だなと感じます。
かえってくるものが、はんぱじゃないですからね。
多大なるストレスだったのではないかと想像します。
TV側の対応も個人的には気になるところもあったりしましたが、皆も今は復帰を喜んでいる雰囲気なんですかね。
もし、今後も活躍できるのなら、あれほど追い詰められた人でもまた頑張れるのだなぁ、と勇気づけられる気がします。
今後のご活躍、お祈りしています。
と、言いつつ、実は相撲には全く関心がない私でした(笑)。
カウンセリングにおける矛盾
※今回は私見というか私の姿勢も含まれるかもしれない内容なので、必ずしもこれがスタンダードというわけではないと思います(まあ、毎回そうですが)。
カウンセリングを利用するということは、自分の悩みなり困った状況をなんとかしたくて・あるいは人に聞いてもらいたくて、来談するわけです、ほとんどの場合。
しかし、来談する全ての人がスムースに悩みや状況を話せるわけではありません。
様々な理由があると思いますが、そもそも悩みについて“考えなければいけない”ということは、人間けっこうしんどい作業なのです。
(“考える”は“エネルギーをそそぐ”という表現でもいいかもしれません)。
悩みというのは考えなければいけないことのようで考えたくないことでもあり、そこから目をそむけたい心理も働きます。
これを抵抗や防衛といった概念で考える人もいます。
なので、カウンセリングに来て黙ってしまう方もいます(もちろん、これも理由は様々ですが)。
完全に黙っているという方は稀ですが、核心的な部分は巧みに(無意識に)スルーする等、ちょくちょくこのようなことが起きています。
カウンセリングで、悩みを相談しにきているのに、相談していないということが起きがちなのです。
また、簡潔に結論だけを話しすぐにアドバイスを求める方もいますが、このような方も実はそれについて“考えたくない・触れたくない”心理、あるいはその労力をカウンセラーに担ってもらいたい心理、が働いていることもあるかと思います。
(ただ、こちら側がそれをやってしまうと、ほとんど話を聞かないでアドバイスをするようなものなってしまいますので、慎重になります)。
で、カウンセラーとしてどうするかは、無理なく話せる範囲で話してもらう・話し合う、ということが基本です。
ただし、その無理なくの範囲が極めて小さい場合は、もう少し広がるといいな、と願います。
つまり、やはりそう簡単ではない、ということです。
また、時間の経過やタイミング、来談者が感じられる安心感に応じて、話す範囲や深さも変化していきます。
実は、こういったことはカウンセリングの場でなくても、同じです。
悩んでいる人は日常でも、考えたくない・でも、考えなきゃ、という葛藤があります。
私は、それについては、真面目になりすぎなくてもいい、と思います。
気晴らしにTVを楽しんで忘れてもいいでしょうし、目をそらすために寝てもいいと思います。
そうしないとやってられない場合もあるからです。
ただ、そうやってエネルギーを回復しながら、なんとかかんとかやっているうちに悩んでいることに向かえることもあるし、いつの間にか消えてることもあります。
(消えるどころか、より存在感・圧迫感が増す場合もありますが)。
カウンセリングを利用する場合は少しだけ日常と異なってくることもあります。
一人で悩んでいる場合は、話し相手ができるということもありますが、そもそもそういう場所・そのための構造であるということです。
これによって多少集約することが出来るわけです。
受験生がわざわざ図書館に行って勉強する(図書館に行くと勉強するしかない気持ちになる)のに近いかもしれません。
もちろん、例えなのでカウンセリング=勉強というわけではありませんが。
それと、今回の内容のように、図書館に勉強しにいって勉強しないということもあるかもしれませんね(笑)
カウンセリングを利用するということは、自分の悩みなり困った状況をなんとかしたくて・あるいは人に聞いてもらいたくて、来談するわけです、ほとんどの場合。
しかし、来談する全ての人がスムースに悩みや状況を話せるわけではありません。
様々な理由があると思いますが、そもそも悩みについて“考えなければいけない”ということは、人間けっこうしんどい作業なのです。
(“考える”は“エネルギーをそそぐ”という表現でもいいかもしれません)。
悩みというのは考えなければいけないことのようで考えたくないことでもあり、そこから目をそむけたい心理も働きます。
これを抵抗や防衛といった概念で考える人もいます。
なので、カウンセリングに来て黙ってしまう方もいます(もちろん、これも理由は様々ですが)。
完全に黙っているという方は稀ですが、核心的な部分は巧みに(無意識に)スルーする等、ちょくちょくこのようなことが起きています。
カウンセリングで、悩みを相談しにきているのに、相談していないということが起きがちなのです。
また、簡潔に結論だけを話しすぐにアドバイスを求める方もいますが、このような方も実はそれについて“考えたくない・触れたくない”心理、あるいはその労力をカウンセラーに担ってもらいたい心理、が働いていることもあるかと思います。
(ただ、こちら側がそれをやってしまうと、ほとんど話を聞かないでアドバイスをするようなものなってしまいますので、慎重になります)。
で、カウンセラーとしてどうするかは、無理なく話せる範囲で話してもらう・話し合う、ということが基本です。
ただし、その無理なくの範囲が極めて小さい場合は、もう少し広がるといいな、と願います。
つまり、やはりそう簡単ではない、ということです。
また、時間の経過やタイミング、来談者が感じられる安心感に応じて、話す範囲や深さも変化していきます。
実は、こういったことはカウンセリングの場でなくても、同じです。
悩んでいる人は日常でも、考えたくない・でも、考えなきゃ、という葛藤があります。
私は、それについては、真面目になりすぎなくてもいい、と思います。
気晴らしにTVを楽しんで忘れてもいいでしょうし、目をそらすために寝てもいいと思います。
そうしないとやってられない場合もあるからです。
ただ、そうやってエネルギーを回復しながら、なんとかかんとかやっているうちに悩んでいることに向かえることもあるし、いつの間にか消えてることもあります。
(消えるどころか、より存在感・圧迫感が増す場合もありますが)。
カウンセリングを利用する場合は少しだけ日常と異なってくることもあります。
一人で悩んでいる場合は、話し相手ができるということもありますが、そもそもそういう場所・そのための構造であるということです。
これによって多少集約することが出来るわけです。
受験生がわざわざ図書館に行って勉強する(図書館に行くと勉強するしかない気持ちになる)のに近いかもしれません。
もちろん、例えなのでカウンセリング=勉強というわけではありませんが。
それと、今回の内容のように、図書館に勉強しにいって勉強しないということもあるかもしれませんね(笑)
心理臨床学会2007
年に一度の学会の大会に参加してきました。
全国の臨床心理士や心理系の大学院生などがたくさん参加する大きな大会です。
自分の職場にも臨床心理士はいますが、このような大会に参加すると改めて臨床心理士という人達の性格というか特徴を感じたりします。
この分野にいない人やこれから臨床心理士を目指す人たちには興味があるところかもしれないのでちょっとだけふれておきます。
もちろん、私個人の印象にすぎませんが、善くも悪くも真面目で勉強熱心な人が多いようには感じます。
講義なども寝ている人達をあまり見かけませんし、それどころか立ち見をしてまで講義や研究発表を聴こうとする人達もたくさんいます(これは、部屋の大きさの問題でもありますが)。
学会というと、受付を済ませたらあとは観光!という話も聞いたことはありますが、この分野の人はあまりそういう人もいないかもしれません。
また、ミーハー(?)な面もありまして、有名・著名な先生などが司会をする発表があると、あまり題目や発表者に関係なくものすごくたくさんの人が集まったりもします。
各々では色々とおもしろい人たちや不思議な人たちもいますが、全体的にはそんな感じの印象です。
臨床心理士の資格は更新のためにポイントを修めなければならない制度がありまして、実は私的にはそのポイントのために参加した部分が大きかったりしました。
参加したみなさんは、お疲れ様でした。
全国の臨床心理士や心理系の大学院生などがたくさん参加する大きな大会です。
自分の職場にも臨床心理士はいますが、このような大会に参加すると改めて臨床心理士という人達の性格というか特徴を感じたりします。
この分野にいない人やこれから臨床心理士を目指す人たちには興味があるところかもしれないのでちょっとだけふれておきます。
もちろん、私個人の印象にすぎませんが、善くも悪くも真面目で勉強熱心な人が多いようには感じます。
講義なども寝ている人達をあまり見かけませんし、それどころか立ち見をしてまで講義や研究発表を聴こうとする人達もたくさんいます(これは、部屋の大きさの問題でもありますが)。
学会というと、受付を済ませたらあとは観光!という話も聞いたことはありますが、この分野の人はあまりそういう人もいないかもしれません。
また、ミーハー(?)な面もありまして、有名・著名な先生などが司会をする発表があると、あまり題目や発表者に関係なくものすごくたくさんの人が集まったりもします。
各々では色々とおもしろい人たちや不思議な人たちもいますが、全体的にはそんな感じの印象です。
臨床心理士の資格は更新のためにポイントを修めなければならない制度がありまして、実は私的にはそのポイントのために参加した部分が大きかったりしました。
参加したみなさんは、お疲れ様でした。
